じゃがいも物語エピソード1「できないから決まった就職先」

「できないから決まった就職先」

 

JPBA認定講師の
商品設計&セールスコーチの
所司憲和(しょじのりかず)です。

 

34才にして
「じゃがいも」
「じゃがねぇ」と呼ばれるようになるとは
思いもよらなかったでしたが、

 

北海道出身で坊主だということから
「じゃがいも」

女性と話すと方言みたいな感じで
おねぇ言葉になってしまうから
「おねぇ」と呼ばれ

いつのまにやら
「じゃがいも」と「おねぇ」をあわせて
「じゃがねぇ」
と呼ばれるようになってました。

悔しいかな
これが予想以上に反応が良くて
キャラ立ちしてしまって!

 

協会の理事からも
ビジネスをお手伝いする時は
「じゃがいも先生」という
名前でやればということで

 

命名されて(笑)

 

どうせ一回の人生楽しんだ方がいいだろうと思い
「じゃがいも」で行ってやろうじゃないかと!!

 

それで今に至るわけですが

僕の想いとしては
人の成長に「つながる」教育を提供し、
世代を超えて、豊かな日常が続く社会になればと
思っています。

このような想いがカタチになったのは
JPBA(日本パーソナルビジネス協会)に属して
個人事業主のコンサルをするようになったからですが

そもそもここに僕が属して
講師をしているのか?

 

話せば長く、
失敗の連続が続く話ですが
暇つぶしとして読んでいただければ
うれしいです。

 

思い返せば
僕の人生は、いじられ続け
そして、それに左右されながら
走り続けていた気がします。

 

今も走ってる途中ですが

 

少し僕の青春からお伝えさせて
いただければと思います。

 

僕の出身は北海道です。
親が転勤族だったため
幼少期は北海道内をずっと転々としてました。

そして、その転校ラストの地が
函館という街で
そして、僕の将来の進路が決まった
場所でした。

そこから少しお話していこうかと思います。

その中学3年生を函館で
過ごす前まで

中学1、2年生の時
なにかした訳でもなく
普通にしてたのに
いじめを受けてたため
転校した時は、普通にするのではなく
なるべくおとなしく
過ごそうとしてた時でした。

 

しかし、転校生で
所司(しょじ)という名字のせいもあり
目立ってしまい

しかも
「所司って、ブラジル人らしいよ」という
噂が流れ(笑)

今でも不思議なんですが・・・
なにがどうなって、そうなったのか?
ほんとわかりません。

だから、親に聞きました。
「俺、ブラジル人って言われるんだけど、見えるかな?」

 

親も不思議そうな顔で
「いや・・・、あんたどっちかというと醤油顔よね」


「・・・だよね(汗)」
「学校で言われてて、ホントなんでだろう?」

 

そんなことを思っていても
それがみんなにはしっくり来たらしく

「転校生でブラジル人がいるらしい」という
噂が学年中に広まってました。

 

知らない同級生から
「あ!あのブラジル人でしょ」って

軽い有名人気分を味わったのを覚えてます。

 

目立たないように生きようとした
僕のプランが台無しでした。

 

まあ、今のじゃがいもと変わらない
といえば変わりませんね(笑)

 

そんな中学3年生の学校生活で
今でも記憶に残ってるのが

 

先生との進路相談です。

 

当時、まあ今も頭は悪いですが

勉強となると本当に容量が悪く
勉強してるつもりでも成績は本当に悪くて

つまり、真面目なのにバカ(笑)
だったことから

先生から
「しょじくんの成績だと・・・・」
「水産高校か商業高校、それと私立の高校」

それは
死刑宣告みたいなものでした。

 

当時
ガラが悪い連中が行く高校が
水産高校と商業高校だったからです。

 

そうはいっても
中学1、2年にいじめられたこともあって
そこに行けば確実にいじめられるのは
目に見えてました。

 

しかし、うちの家計的に
私立に行く余裕はありませんでした。

 

そこで先生に
「どうにかなりませんか?」と聞いた所

 

先生が
「・・・う~ん、ムリだろうとは思うけど」
「その上のランクだと工業高校かな」
「可能性はすごい低いけど」

 

そう言われて
「わかりました。じゃあ、工業高校に行きます」
すぐ返答しました。

 

別に、ものづくりが好きとか
そういうことではなく
いじめを回避したいがために
工業高校を選択しました。

 

とはいっても
先生も親もあきらめムードで

「まあ、ムリだろうけど」という感じでした

 

それでもいじめを回避したい僕は
勉強し、受験に挑み
そして、無事合格しました。

 

先生から
「え?受かっちゃったの?」
って言われたのは

 

今でも鮮明に覚えてます(笑)

 

無事、工業高校に合格したわけですが
ただ、そこから自分の人生が順風満帆かと言えば
そうではありませんでした。

当時の工業高校の卒業後の進路は
多くが、工場に就職でしたが

 

入ってわかりました。

 

「あ、僕!手先が不器用なんだ」
とどうも上手くいかない実習!!!

作っても作っても失敗するし
なにより楽しくない

 

だから、工場で働いても
上手くやってけないというのが
目に見えてわかったので

 

そこで、僕の就職は進学に変わりました。

ただ、だからといって
どこにいけるという訳ではありませんでした。

 

高校進学と同様で
公立の大学に行く頭もない
家計としても
私立の大学や専門学校に行く
のは難しい状況でした。

 

そんな中

いろいろ調べてたら
大学校という
職業訓練校の大学バージョンがあると聞き
しかもそれが、公立の4分の1でいけるという破格の学費!!

 

「いきます!!!」ということで
就職を回避するために受験し
推薦受験だったので面接で合格して
大学生活は楽しく過ごすことができました。

 

その大学生活もあっという間に過ぎ
就活になった時に
これは進学してた時から
わかってたことですが

 

この大学校も就職先は工場が多く
手先が不器用な自分には難しい状況でした。

 

そして、なにより何がしたいかわからない!

 

周りの友達はどんどん就職先を決める中
焦ってどうしようと考えて
悩みに悩んだ結果

 

だったら、やりたいことから決めるのではなく
やれないことから潰していって
就職先を決めようと

 

工場では働きたくない
手先がかかることはできない
そんな風に潰していったら

 

設計職だけが残りました。

ただ、自分できるかどうかは多いに疑問でしたが
CAD実習は好きな方だったので
設計職で就職先を探しました。

 

まあ、しかし
北海道の設計職はすでに
僕より頭がいい同学年が何人かいて
そこと勝負できるとは思ってませんでした。

 

 

そこで先生に相談したら
「東京に行けば、
電子顕微鏡の設計の仕事あるぞ」
と言われて

電子顕微鏡?
なんですか?それは?
という状態でしたが

 

「迷うことなくいきます!」とお伝えし
競争することなく

 

好景気だったこともあり
面接一発で
無事、電子顕微鏡の会社から内定頂こくことが
できました。

振り返ると
学生時代は本当に
自分から何かを決めるのでなく
周りの環境や変化に合わせて
生きてきた僕でした。

その結果、社会人になってからは
本当に苦労することになります。

 

その苦労のはじまりである
会社員時代について
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JPBA認定講師商品設計&セールスアドバイザー 1984年生まれ。北海道浦河出身。東証1部上場の電子顕微鏡メーカーにて、日本人で初めてフェラーリをデザインした方の設計責任者を経験。新規開発及び設計に従事(特許1件あり)。 2006年、地元である北海道浦河の過疎化を目の当たりにして、この現状をどうにかしたいと考え、地域の活性化とデザインとの組み合わせで地方活性を模索し、2015年、「地方の活性化」を理念にワンズラインを設立。代表に就任。同年、デザインスクール事業を開始。 2018年、地方をもっと活性化するために「地方を世界へ」をコンセプトに「ワンズライン合同会社」を設立。地域の魅力を世界に届けるためにWebブランディング事業を開始。 現在は個人の理念である「地域社会の発展」に貢献するためにワンズライン合同会社の経営と個人事業主向けに経営コンサルティング事業を行っている。

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