じゃがいも物語エピソード3「会社員から起業しようした理由」

「会社員から起業しようした理由」

 

JPBA認定講師の
商品設計&セールスコーチの
所司憲和(しょじのりかず)です。

 

じゃがいも物語エピソード2からの続きになります。

 

新商品開発のお披露目パーティーも終わり
商品の製品ラインも稼働し
プロジェクトメンバーで
改めて飲んで時でした。

 

母の電話で
母方の祖父が
「危篤になったから
すぐに帰っておいで」

 

「とうとう来たか」
という感じではありました。

 

母からは前々から
祖父の体調が悪いと聞いてたので
心の準備はしてましたが
やはり、それでも
どうにも気持ちは落ち着きません。

 

祖父祖母は、70を過ぎ、
北海道の日高のど田舎で農家を営んでました。

本当に田舎で見渡す限り山と農地しかいない風景で

小さい頃はあの山を超えた先には
なにがあるんだろうと思ってワクワクしてましたが
結果、その先は山っていう(笑)

 

僕にとってはやはりそれでも
大好きな場所でしたし
大好きな祖父祖母でした

 

いつもそこにいけば
ほんと他愛のないやりとりがはじまります。

 

晩御飯のあと
祖父「のりや!東京はどうなの、暑いのかい?」
自分「暑いよ〜」
自分「北海道はやっぱり涼しいね〜」

祖母「ほら、隣のおばさんからもらった大福も」
自分「晩ごはん食べたばかりだから、それぐらいで大丈夫、ありがとう」
祖母「あと、いちごも食べな」
自分「え・・・・・・・、ありがとう」
(え、聞いてないの?)
祖母「桃もあるから」

自分「え、もう大丈夫・・・、そんなに」
祖母「いっぱい、食べな大きくなれないよ」


自分「ばあちゃん、もう俺24歳だからこれ以上は大きく・・・」
自分「そもそも二十歳で身長は止まってるし」

祖母「大丈夫。大丈夫。」
祖母「じゃあ、プリンも持ってくるね」
自分「ちょっと増やさないで、もうお腹いっぱいだから」

祖母「そうかい、仕方ないね。でも、プリンは入るしょ!」

祖父「のりがもういいって言ってるべや」

祖母「のり、いいよね?黙ってなクソジジイ!」
祖父「なんだばばあ!」
祖母「うるさいね〜、ね〜、のり、今持ってくるから」

自分「いや、気軽に増やさないで、ばあちゃんもう食え・・・」
(あ・・・、もういない)

 

いつもなら
楽しい気持ちで行ける所も
今回は違いましたが

早朝の早い便で羽田を出発し
北海道に向かいました。

 

知らせが来て
早朝には祖父は息を引き取り

 

着いた時には
祖父の身体は仏壇の部屋にあり
冷たくなってました。

 

死に目に会えなかったからか
祖父が亡くなったとは
実感できずに

 

今にでも起きて
「おー、のりや元気か東京はどうなのよ」
なんて言うんじゃないかと
心のどこかで思ってました。

 

祖父が亡くなった事をうまく飲み込めないでいると
祖母が老人ホームから連れてこられてました。

 

祖母は認知症を
祖父が体調悪くなった時から患ってて
僕の事や他の孫のことは
もうすでに認知できなくなっていて

祖父がなくなった直後は
体調もわるくて
誰をどこまで認識してるのか
わからない状況でした

祖母をみて
「そもそも祖父のことも認識できるのかな?」
と思ってましたが

 

冷たくなった祖父の顔を見た時
顔がはっきりして
祖父の顔さわりながら
愛おしい顔で涙を流してる姿は
とても印象的で
今でも目に焼き付いて離れません。

 

「祖父を本当に愛してたんだな」と

 

その後、祖母は体調が悪かったため
祖父から離れなければいけないと
わかった祖母の顔はなんとも
悲しげな顔で葬式には出ず
老人ホームに戻って行きました。

 

葬式には、生前祖父と仲が良かった
親戚や近所の人が集まり、祖父の死を悼みました。

 

祖父は、
いつも冗談をいい
いつも周りを明るくする人でした。

 

それは、親戚や近所付き合いでも
同様らしく
旅行に行った時も
余興の歌を歌って盛り上げたり
してたということを
親戚・近所の方々が教えてくれました。

 

そんな話を聞いてかどうか
今でもよくわかりませんが

 

あの時の僕は
祖父なら
「きっと自分の葬式が
こんな静かでは寂しいのは嫌だろうな」
となぜか、変な使命感をもち

葬儀・告別式・火葬の間
人が集まるところでは

職場で培った
「イジられキャラのノウハウ」を活かして
いろんな人達を巻き込んで
とにかく笑わせました。

 

今、振り返ると
ほぼ「おねぇ」でした(笑)

 

「あら、そろそろ漬物漬ける時期なの」
「つけちゃなさいよ!はやく!」
「70歳なんてまだ若いわよ(何目線?)

とか他愛のないことを言ってた気がします。

 

そんな感じで祖父を
和やかで見送ることができた後

 

少し落ち着いたところで
親戚の誰かがボロっと

「みんな、いなくなっていくね~」
「寂しいよね~」
「悪いね。こんな田舎でなにもなくて」

それを聞いて「ハッ」としました。

 

前々から町の過疎化については
思うところがありました。
身内の商店も潰れたり
人口も少なくなっていて

 

それでも、
「まあ、まだ大丈夫だろう」
「誰かがきっとよくしてくれるだろう」
と思ってました。

しかし、町を見渡せば、シャッター商店街があり
ほぼ車もたまに通るぐらい

 

ただ、見ようとしてなかっただけでした。
ここにいるみんなが元気で暮らせる所にしたい!
住んでる人たちが誇れる町にしたい!
地元への貢献をしたい!
地方活性が必要だと!!

そう思ってても
しかし、いざやろうと言って
何ができるのか?

東京で電子顕微鏡の設計してる
ただの会社員にな何ができるのか?

 

その時
一人の女の子を思い出しました。

 

話は少し遡りますが

仕事になれた3年目をすぎた頃
電子顕微鏡を作っても直接喜ばれる感じがしなく
もっとなにか社会的貢献を直接したいと
思っていた時に

 

いろいろ調べていたら
病院にいる子供向けのボランティア団体の
やっている内容に興味を持ち
ボランティアの代表であるはなちゃんが
ホントすごくて!

 

彼女は幼少期もともと病気持ちで
病院からでれない生活で
幼少期大変苦労し

 

それで、自分と同じような
状況の子どもたちを
もっと元気にしたいと
ボランティア団体をつくり
いろいろな人からサポートを受けながら
その熱い想いで
企業からスポンサー契約を結んで

ボランティア団体をやっていました。

 

そして、僕は彼女の想いに共感し
団体に入り
ボランティア活動をさせてもらい
いろいろやっていくうちに
気づいたら理事を任せるようにまで
なってました。

 

そんなボランティアをやっていた時
代表であるはなちゃんの背中をみて
「すごいな、自分で道を切り開いて」
という憧れをもつものの
自分にはできないなと思っていました。

 

しかし、彼女も一から切り開いてきたように
彼女のように未来を切り開いて
行かないと将来後悔することになるだろうと
「じゃあ、やるしかない!」

 

ここからが僕の挑戦でした!

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JPBA認定講師商品設計&セールスアドバイザー 1984年生まれ。北海道浦河出身。東証1部上場の電子顕微鏡メーカーにて、日本人で初めてフェラーリをデザインした方の設計責任者を経験。新規開発及び設計に従事(特許1件あり)。 2006年、地元である北海道浦河の過疎化を目の当たりにして、この現状をどうにかしたいと考え、地域の活性化とデザインとの組み合わせで地方活性を模索し、2015年、「地方の活性化」を理念にワンズラインを設立。代表に就任。同年、デザインスクール事業を開始。 2018年、地方をもっと活性化するために「地方を世界へ」をコンセプトに「ワンズライン合同会社」を設立。地域の魅力を世界に届けるためにWebブランディング事業を開始。 現在は個人の理念である「地域社会の発展」に貢献するためにワンズライン合同会社の経営と個人事業主向けに経営コンサルティング事業を行っている。

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